9月1日は、統計的に児童生徒の自殺が多い日である。
二学期制になり、必ずしも、9月1日が、夏休み明けではなくなったが、非常に負担の大きなブルーマンデーである。
休み明け、しかも、長期間の休暇の後、憂鬱で、皆と同じ行動を強いられる日本の学校には精神的自由がなく、ストレスに満ち溢れ、それを発散するために、いじめが横行する。
日常的に、“いじめられて、いじめて”が繰り返される。心は傷つき、疲弊するばかり、子どもによっては戦場のような感じを持っている児童生徒も多い。
誰のための、きまりなのか、それを守るための形式なのか、わからなくなる。秩序はきまりや形式によって守られると先生や親から、教え込まれる。
それを破り、集団から一時的に回避し、自分自身を取り戻すことができない。
それを、破れば、不登校だ!怠けだ!根性がない!と言われる。
100メートル9秒台で走る走者がいないのに、バトンタッチのチーム・ワークで400メートルリレーで銀メダルを取った。
チーム・ワークこそが、日本の美徳と教えこまされるのか、体操競技でもなんでも、個人種目より団体戦を得意とする日本、この根本が集団化、チーム・ワークと強調され組織教育になる。
それについていける、言葉は悪いが、何にも疑問を感じないか、忍耐力が強いかわからないが、強靭な心の持ち主でない人は離脱していく。
幼く生活経験の乏しい彼ら彼女らも集団や組織からから外れることに、死を意識するくらいの不安を感じるが、このままでは自分が壊れていく感じがして、さらに、身体的に動かなくなる。
一方、親はせめて我が子は高校くらい卒業して、集団や組織から外れたら普通の人では生きていけないという強い不安が起る。それは、我が子を思えば思うほど強くなる。
日本で生きる以上、形式、対面を強く意識する親の不安と、生きる本質を問う本人達の不安に大きな乖離がある。
親にも、先生にも理解してもらえない児童生徒は、絶望という片道切符に乗る。